テレビでカラオケ番組を見る機会が増えた。
時には100点満点を取る名人もいる。
確かに上手い!技術的には申し分ないのだろう。
だけど一流のプロと比べると明らかに何かが違う。“味気ない”のだ。
この人でないといけない理由がないように思う。
しかし、一流のプロ(例えば杉良太郎)の歌には何故か引き込まれる。
何度も聞きたくなる。なぜだろうか?
でも、杉良太郎の歌をカラオケ機械で評価したら100点は出ないだろうな。
そう、カラオケ歌番組は、「人が」点数を出すのではなく、「機会が」点数を出す。
どの会社の中にも話術に長けた人はいるものだ。
だからと言ってその人に人を動かす力があるとは限らない。
反面、話し方は上手ではないけれど「あの人が言うなら・・・」と その人が語るだけで、多くの人を動かす達人もいる。
ビジネスにおいて大事な選択の場面では 「何を語ったか」ではなく「誰が語ったか」がより重視される。
人は、人に感情を動かされる。
カラオケ番組で感じる”味気なさ”の理由の一つが この感覚なのかもしれない。
それは肩書きに左右されるという意味ではない。
生身の人間の体験に基づいた 人間的魅力、迫力、包み込む技量の差である。
「あの人が行くなら私は行かない」 「アノ人が行くなら私もついて行く」
「あの人とアノ人。できればアノ人になりたい」